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東京高等裁判所 昭和57年(く)248号 決定 1982年10月27日

少年 K・N(昭三九・一一・三〇生)

主文

原決定を取り消す。

本件を浦和家庭裁判所川越支部に差し戻す。

理由

本件抗告の趣意は、附添人弁護士○○○、同○△○○共同作成名義の抗告申立書及び抗告申立補充書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  所論の要旨

論旨は、要するに、少年が継母の就寝中その頭部等を鉄パイプで殴打し、これを制止しようとした実父の顔面を柳刄包丁で刺すなどして両名に加療各三週間を要する傷害を負わせたというのが本件非行の大要であるところ、その原因及び少年の要保護性等を仔細に検討すれば、少年を中等少年院に送致することとした原決定の処分は著しく不当であるから、その取消を求めるというのであり、その論拠とするところは、概ね次のとおりである。すなわち、

(1)  本件非行の直接の原因は少年の継母に対する反発にあるが、これを誘発するに至つたのは、<1>再婚するにつき少年の意見を聞こうともしなかつたばかりか、少年が修学旅行で不在中に継母を迎え入れてしまつた実父の軽卒な行動と、<2>右再婚の経緯や継母との性格不一致、さらには継母の少年と弟に対する差別的態度等から次第に継母に対する反発と疎外感を深めながらこれを外部に表出できずにいる少年の心情を汲み取ることのできなかつた継母の少年に接する態度にも原因のあつたことが窺われ、

(2)  他方、少年の継母に対する憎悪はそれほど根深いものとは思われず、本件非行は、継母から自己の日常行動について注意を受けたことに対する一時的反発と、深夜、短時間の睡眠から覚醒した直後の、理性よりは情動に支配されやすい特殊な心理状況(いわゆる寝呆け状態)とに触発されたものと考える余地があり、原決定の言うように周到な計画性を有するものとは考えられず、

(3)  本件を契機として、実父、継母ともに少年の心情を理解できず、ことここに及ばせてしまつた事態に対する認識と反省を新たにし、また、少年も継母に対する不満の多くは自己中心的な考え方と継母に対する誤解から生じたものであること、自分の意見や不満等は相手にきちんと話して理解してもらう必要のあること等を認識するに至つており、三者間の心の垣根が取り払われて、現時点では、弟を含め家族四人の生活の中で少年の更生を図ることが期待でき、少年院に収容しての矯正教育の必要性は失われたものと言うべく、

(4)  却つて、今ここで少年を施設に収容するときは、少年の性格との関連で、施設内での他の収容者からの影響や退院後における心理的負担、大学受験を目前に控えた重要な時期であること等から、将来への悪影響を強く懸念せざるを得ない

というのである。

二  本件非行に至る経過

関係記録等によれば、少年が本件非行を起こすに至るまでの経過として、以下の事実が認められる。

(1)  少年は小学校五年で実母K・I子、中学一年で祖父、同三年で祖母を喪い、その後農業を営む実父K・G(大正一四年九月一五日生)及び実弟K・E(昭和四三年一月一四日生)と三人暮しを続けて来たものであるが、実母及び祖母の死因がともに癌であつたことから、公立大学の医学部に進学することを志して勉学に励み、クラスで一、二位の成績を得るようになり、模範的な生徒であつたが、もともと神経質で内攻的性格であり、自己中心的なところも目立ち、中学生になつてからは異常に清潔好きの性行を示すような面もあつた。

(2)  少年は、実父に対し「弁当作つてくれる女性を見つけて来いよ」と言つたことがあるくらいで、実父の再婚そのものについてはとくに異存はなかつたのであるが、少年も気に入つていた最初の女性との再婚がまとまらず、その後実父が少年と十分な話合いをしないままW・M子(昭和一六年一二月二二日生)との縁談を進め、少年が修学旅行で不在中の昭和五六年一一月一四日、同女を自宅に迎え入れたこと(同月一七日婚姻届出)にこだわり、勝気でやや派手好みな同女の性格と合わないこともあつて、素直に同女に馴染むことが出来ないでいるうち、同女が温和な実父に代つて遠慮なく少年に注意を与えるようになつた同五七年二月ころからは同女に対し反感を抱くようになり、同年四月ころには近所に住む叔父T・K方に一過間位身を寄せるようなこともあり、帰宅後も胃炎を患うなどして学業成績もクラスの中位にまで低下するに至つた。

(3)  同年八月一日から三日までの間、夏休を利用して親族一同が伊豆方面に海水浴に出掛けたが、家族とともにこれに参加した少年は、継母が当てつけがましく弟K・Eにのみ優しい言葉を掛け、ことさらに少年を無視するような態度を示すように思いこみ、ますます継母への反感を募らせ、同月三日帰宅した後、継母を困らせる目的で同女が日常使用している柳刄包丁を洋間の長椅子の下に隠匿してしまい、その翌日ころには、いつか同女を懲らしめるときに使う目的で洋間にあつたぶらさがり健康器の部品の鉄パイプを外して、付近の床の上に放置しておいた。

(4)  少年は、夏休みに入つてからは、しばしば所沢市に遊びに出掛け、○○デパートで本の立読みやゲーム遊戯に時間を費すことがあつたが、同月八日もそのようにして日中を過ごし、午後七時ころ帰宅したところ、同夜継母から「毎日所沢に出掛けて何やつてるの。勉強でもしたら。」と注意され、その言い方に挑発的なものを感じて忿懣を覚えたものの、とくに口答えするようなことをせず、午後一一時一〇分ころ布団に入り、継母に対する反感を反芻するうち、枕元の電気スタンドを点けたまま寝入つてしまつた。

三  本件非行事実

少年は同月九日午前二時二〇分ころ目を覚まし、継母のことを思い出すうち、同日から同月二一日まで都内の○○ゼミナールに行くことになつているが、その不在中に継母が少年の悪口を近所の親戚に言い触らすのではないかという懸念が頭に浮かび、今までのうつぷんを晴らすとともに継母が自分の悪口を言えないようにしてやろうと考え、パジャマからTシャツ、Gパンに着替え、洋間にあつた前記鉄パイプ(直径二・三センチメートル、長さ九三センチメートル)を携え、実父が日を覚まして制止する場合に備えて果物ナイフ一丁をズボンの右脇後方に挿み、同日午前三時一五分ころ、自宅一階八畳の両親の寝室に至り、就寝中の継母K・M子に対し、その頭部及び顔面を右鉄パイプで二、三回殴打し、物音に気付いて少年を制止しようとした実父K・Gに右鉄パイプを取り上げられそうになるや、前記果物ナイフを取り出して立ち向かおうとしたが、その刄体が何かに接触して折れてしまつたため、一階の洋間の長椅子の下に隠匿してあつた前記柳刄包丁を思い出し、これを持ち出して、少年を取り抑えようとする実父に対し、その顔面を突き上げるなどの暴行を加え、よつて、右K・M子に対し、加療約三週間を要する左前頭部・頭頂部・左後頭部打撲・皮下血腫及び挫創、頸部捻挫並びに胸部・腹部打撲傷、右K・Gに対し、加療約三週間を要する左頬部・顔面・左前頸部刺創、頭部外傷、左第三指挫創及び胸・腹部打撲傷の各傷害を負わせたものである。

四  本件非行に対する当裁判所の判断

(1)  本件非行が、その使用兇器、攻撃回数、傷害の部位等に照らし、より重大な結果をも招来しかねない甚だ危険なものであることは、原決定の指摘するとおりである。

原決定は、少年に対する処遇を決定するにつき、右のような危険性のほか、種々の事由を掲げているので、それらの諸点につき順次検討する。

(2)  原決定は、まず、本件非行が少年の実父及び継母に向けられたものであることを指摘している。尊属に対する犯行は、古来強い道義的非難に値するものと考えられて来たことは事実であるが、他面、それが誘発されるについては、尊属の側においても、これを余儀なくさせるに足るだけの原因のあることが通常であり、ことに、相手が思慮分別の未熟な未成年者である場合においては、非行を未然に防止するために、尊属側に深甚の配慮が期待される所以でもある。

また、同居の近親者間における犯行であるということは、加害者と被害者が同一生活圏内にあるという関係上、一面において犯行前の生活状態をそのまま維持することを著しく困難ならしめる要因となることを否定できないが、他面において、犯行を契機として関係者の間に従前と異る相互理解が生まれているような場合には、却つて事態の改善に有益な効果をも期待し得るのであつて、具体的事案に応じて慎重にこれを見極めることが肝要である(その詳細については、後記五において判断を示す。)。

(3)  原決定は、つぎに、本件非行があらかじめ兇器を準備して実行されていることは軽視できないと説示している。

少年が、継母の注意に対してその場で衝動的に暴発したものではなく、一旦就寝して寝覚めたのち、服装を整え、継母を殴打するための鉄パイプや実父の制止を排除するための果物ナイフを携行して行つた点には、それなりの計画性が認められる(それ故、所論の寝呆け状態における非行との主張は排斥される。)。しかし、遡つて、少年が本件柳刄包丁を洋間の長椅子の下に隠匿し、本件鉄パイプをぶらさがり健康器から分解した時点から本件犯行を計画していたものと断ずるに足りるだけの証拠はない。柳刄庖丁に関して言えば、少年が両親の寝室に赴く際これを携行せず、果物ナイフを用意したに過ぎない点に鑑みても、これを犯行の用に供する目的であらかじめ隠匿しておいたものでないことが窺われ、隠匿した時点では単に継母を困惑させるための嫌がらせに過ぎなかつた旨の少年の供述を疑わせるものはない。鉄パイプに関しては、これを分解することが継母を困惑させることとなる事情は窺えないから、これを用いて継母を懲らしめる(殴打行為を意味するものと認められる)目的があつたことは否み得ないが、人目に付きやすい形で放置しておいたことからすれば、漠然とした使用目的はあつたものの、これを使用しての具体的犯行計画まで練り上げていたものとは認め難く、結局、本件非行は、所沢に遊びに行つたことを注意した継母の前夜の言葉が直接の引き金となつて触発されたものと認めるのが相当である。

(4)  しかしながら、継母の右注意は、その言い方に挑発的な調子が含まれていたにせよ、通常では、本件非行のような行動を招く原因となるほどのものとは思われないことからすれば、少年の継母に対する平素の反発がかなり強かつたものであることを窺わせ、それだけに、今後の両者の融和には、藉すに相当の日時を以てする必要があるものと認められることは、原決定の指摘するとおりである。

しかし、他面において、少年は、継母と生活するようになつてから、炬燵に入つている継母の顔や身体に、幼児のように手を触れることを繰り返し、昭和五七年五月の高校での三者面談に継母が出席することを喜び、その洗髪を手伝つており、同年七月の胃炎の際には、継母が食餌療法として与える料理を素直に受け入れ、実父と口をきかないことはあつても、継母とは日常の会話を続け、本件犯行前日も、翌日は予備校に行くので早く起こすよう継母に頼んでいるのである。これらは、鑑別結果にも指摘されているように、早くから実母、祖父母を失い、放任的な実父からも十分な愛情を受けられず、唯一の支えとしていた医学部への進学も、高校二年の二学期には、その見とおしが困難となつて、精神的に極めて不安定な状態に陥つていた少年が、あまり好感を抱いてはいなかつたにせよ、継母に対し少年なりに甘え、従来充されなかつた母としての優しさを同女に求めた結果と解される(少年が父母の仲の良いことをねたみ、しばしばその寝室に立ち入つて見たり、継母が弟にばかり声をかけると訴えることも、自己への関心を向けて欲しいとの願望のあらわれと見ることもできる。)。そして、少年は、そのような心情を理解できなかつた継母から右のような期待を裏切られることによつて、継母に対する憎悪の念を増幅しつつ、更らに、継母に対する期待とこれを裏切られることによる反感との狭間で強い心理的葛藤を生じていたものと見ることができる。このように、少年が継母を一方的に反感、憎悪の対象としてのみ考えていたものでないことは、少年が、犯行直後、取調警察官に対し、父母に対し申し訳ない、何故このような馬鹿なことをしたのかと思つて反省している旨を供述し、その後継母との手紙のやりとりによつて、自らの同女に対する誤解の多かつたことに気づくや、素直にそのことを同女に詫びていることからも十分これを窺うことができるものと言わなくてはならない。

(5)  少年は、実父に対し、その消極的な性格を飽き足らなく思い、また、自分の修学旅行中に継母を家に迎え入れたことを恨んで、口をきくことも少なかつたのであるが、その反感は主として継母に向けられ、実父を深く憎むまでには至つていない。本件非行に際し、少年が果物ナイフを携行したのは、前示のように、継母に対する殴打行為を阻止させないためであり、柳刄庖丁をもつて実父に立ち向かつたのも、体力において劣る少年が、実父に鉄パイプを取り上げられたことから、このままでは負けてしまうと考えた結果であつて、当初から実父に対する傷害行為を意図していた形跡は窺われない。

(6)  以上の諸事情に照らすと、本件非行は、やや強迫神経症的傾向を有する少年の、受験期における、継母との軋轢を原因とする、いわゆる一過性の家庭内暴力事件としての側面を有することを否定し難いのであつて、その動機において同情の余地に乏しいとする原決定の指摘にはにわかに左袒するを得ないものがあり、また、被害者両名の受傷の程度は必ずしも軽微とは言えないまでも、幸いにして大事に至らず、現時点においては回復を見るに至つており、また、後記のように両親が当初から少年を宥恕し、かつ、自らの養育態度の不十分であつたことを自認している事情を併せ考えれば、原決定のように徒らに本件非行の重大性を強調することも、適当とは思われない。

五  将来の予測に関する当裁判所の展望

右のような本件非行の性格に照らすときは、今後少年のみならず、継母及び実父に対しても、適切な精神科的治療が施されること、とくに、早期に少年と継母との間に心的交流を復活させることが、再非行化の防止に最も役立つことは明らかである。

そこで、本件について、右のような処遇が可能か否かを検討すると、まず、<1>少年は、前示のように犯行直後から責任の重大性を悟り、父母に謝罪する気持を表明していたのであるが、少年院入所後も、父母とやりとりをしている手紙の中で、繰り返して詫びるとともに、両親が、少年を許してくれたことを感謝し、継母の容態を気づかい、自己の無口であつたことや父母を誤解し、勝手な思い込みをしていたことを反省し、今後は不満なことがあれば積極的に話し合いたいとの心情を吐露している。

一方、<2>継母は、少年から相当な怪我を負わせられながら、事件直後の警察官の取調べに対して、少年は、最近精神的にいらいらしており、色々な事を考え過ぎて今回の事になつたと思う、一度病院で見てもらい今回の原因を調べてもらいたい、私としては可愛いい息子ですのでよろしくおねがいします旨を供述し、逸早く少年への憎しみの気持のないことを表明していたものである。その後、継母は、担当調査官から、少年に現在では著明な精神的疾患の認められないことを聞き、原決定当日、入院先で、夫から中等少年院送致の決定を知らされるや、その処分の重きに過ぎることに驚き、夫ともども不服申立を決定し、自ら病院内から担当調査官に架電して不服申立の手続を問い合わせ、その助言に従い、遅滞なく付添人を選任して本件抗告に及んでいるのである。同女に対する当裁判所受命裁判官の尋問の際にも、同女は、自分も、神経質な少年に対し、これまでの境遇をあまり配慮せずに接したことを反省している、これまでは生活のリズムを早く合わせようと焦つていたので、これを契機として、是非もう一度少年とやり直したいので早く帰宅させて欲しい旨を繰り返し述べており、同女の少年宛の手紙の内容に照らしてもその熱意は相当に強いものと認められる。また、<3>実父においても、継母とともに抗告申立を決意し、少年院に出向いて面会を続ける傍ら、付添人の示唆もあつて、埼玉県立○○センターに通い、その指導を受けて、自らの放任的態度を改め、頼り甲斐のある父親になる旨を誓うに至つている。

以上のように、被害者である両親、ことに継母が、少年を宥恕するとともに、その受け入れを積極的に申し出ており、少年もまたこれに応ずる心境を示していることが明らかであることからすれば、今後三者間の関係調整は十分可能と考えられる。そして、従来、少年と両親との間を再三とりなしてきた叔父T・K夫妻も、その方法の至らなかつたことを反省するとともに、少年の帰宅を望み、学校側も、少年が再度登校する際にはこれを受け入れる意向を示している以上、少年に対しては、今直ちにこれを両親の下に戻すことには躊躇せざるを得ないものの、社会内処遇への可能性を模索しつつ今暫らくは、両親と少年との心的交流がどの程度に可能であるかを慎重に見守り、三者に対する精神科的治療の方法及び少年の学校生活への定着の有無等を十分観察し、そのうえで終局処分を下すことが適当と考えられる。

そうだとすれば、相応の観察期間も経ない現時点において、にわかに少年を中等少年院に送致すべきものとした原決定は、やや性急に過ぎてこれをそのまま維持するに由なく、その処分に著しい不当があるものとして取消を免れない。論旨は理由がある。

よつて、少年法三三条二項、少年審判規則五〇条により原決定を取り消し、さらに適切な裁判をさせるべく、本件を原裁判所である浦和家庭裁判所川越支部に差し戻すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 草場良八 裁判官 半谷恭一 須藤繁)

〔参考〕 少年調査票<省略>

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